
元カジノディーラーを勤めていた友人に書いてもらったカジノ業界裏話です。この記事を読んでいる読者は、多かれ少なかれ「カジノディーラー」という職業に興味を持っているのではないでしょうか?
「カッコいい!」「華やか!」「モテそう!」「お金稼げそう!」「ちょっと怖い…?」
その真相は如何に?
これから紹介するある1人の体験記を読んだ後、皆さんは一体どう思われるのでしょうか?
目次
プロディーラーの話ではありません!
現在は健全なカジノディーラー育成機関「日本カジノディーラーズ協会(JCDA/Japan Casino Dealers Association)」が認定したプロディーラーが国内外で活躍しています。
彼らは日本のカジノスクールを卒業し、JCDAが実施する「カジノディーラー資格認定試験」をパスした人です。
正規の認定を受けたプロディーラーは、これから私が話すケースには当てはまりませんので、ご注意ください。
カジノディーラーは一流のエンターテイナーです。
ディーラーとはカジノバーにてゲストを相手にゲームを捌く人を指します。
バカラ、ブラックジャック、ポーカー、ルーレット等ゲームの進行、そして勝者へのチップ配当など裏方的役割を担います。
一方でカジノ特有の華やかさ、大人の社交場に彩りを添えるマスターピース的存在とも言えます。
ゲームをスマートに支配し、カードやチップを華麗に捌き、ゲストに「最高の一瞬と最高のスリル」を演出する一流のエンターテイナーがカジノディーラーです。
彼のカジノディーラー プロフィール
簡単に私のディーラープロフィールを紹介します。
およそ30年前、私は大学に通いながら4年ほどディーラーとしてカジノに携わっていました。
当時から煌びやかな世界のシンボル的存在であったカジノ。
一部の人にとってディーラーとは憧れの職業でした。
ですが、ディーラーとして高いスキルとモラルが求められる近年のカジノ事情とは違い、当時、ディーラーへのハードルは決して高くありません。
誰もが簡単に踏み出せる非日常への世界。若かりし一人の青年には眩しくて仕方がありません。その世界の本質はどういうものなのか…感覚では分かっていたものの、その魅力に抗うことはできませんでした。
カジノとの出会い
大学入学を控えた春、繁華街で友人と見かけた「タダ飯・タダ酒・タダ煙草」という看板を掲げたサンドイッチマン。その3拍子に誘われるように入店したのがカジノバーでした。
そこに広がる魅惑の空間。華麗にゲームを捌くディーラー、お酒を振る舞うバーテンダー、テレビや雑誌でしか見たことがない美しいバニーガール…。
足を一歩踏み入れた瞬間からカジノの虜になっていた私は、「なんとかここで働きたい…」とその場でオーナーに直訴。
大学入学前にディーラーへの扉を開いてしまいました。
当時、多くのカジノバー(賭場場)では、ゲストに「飯・酒・煙草」を無料提供していました。
「タダ飯」はレンチンの出来合いのものから出前を取るスタイルまでお店の規模によって違います。中にはちゃんとした調理場を揃えるカジノバーも。
「太客(お金をたくさん使ってくれる人)」と呼ばれるゲストは、お寿司や鰻、ラーメンなどの好き勝手に出前を頼んでいました。
今では信じられませんが、90年代の繁華街にはカジノバーの看板を掲げたサンドイッチマンが至る所に立っていました。
そこにはお店の宣伝に加えディーラー募集なども掲載。
「アルバイト情報誌」にもディーラー募集の記事を見かけました。
ここからも90年代当時、ディーラーへのハードルは低かったことが伺えます。
カジノで働くバニーガールは、クラブやキャバレーのホステスようにマンツーマンで接客をすることはありません。(例外を除く)
食事やお酒を提供する、ゲストが支払う現金を運ぶといった仕事がメインとなります。
カジノディーラーの研修
前述の通り、現在活躍しているディーラーの多くは、カジノの専門学校に通い、ディーラーとしての所作を覚え、専門学校卒業後、資格試験に合格した人です。
しかし私が現役だった90年代、ほとんどのディーラーは先輩からルールを教えてもらい、ルーレットの回し方、最低限のチップの捌き方、カードの捌き方をマスターしたら即実践投入というケースがほとんど。
私のデビューは入店10日前後(と記憶)。ルーレットディーラーとしてデビューしました。
90年代当時、多くのディーラーが最初に特訓したのがチップ捌きでした。
練習法は至って簡単です。
ルーレット台に散らばった数種類のチップを短時間で拾い上げ、種類別に「20枚×5組」のセット(計100枚)を作り上げるだけ。
これをひたすら繰り返してチップ捌きを覚えました。
ルーレットディーラーには総合力が求められます。
ボールを廻すテクニック、ルーレット台に散らばったチップを素早く拾い集める指先の器用さ、全身を使い続ける体力、そして配当金を素早く割り出す計算力など。
バカラやブラックジャックに代表されるカードゲームとは違ったスキルを養わなくてはなりません。
最初のカジノバーで働き始めて3ヶ月ほど経った頃、カードゲームを極めたいとの思いで他のカジノに移籍しました。
そこのメインゲームはバカラ。
ゲームの基本ルールやマナー、チップの数え方を学んだ後、メインディーラーとしてバカラの世界に足を踏み入れました。
しかし営業許可を得ていないお店だったため、入店半年ほどで潰されることに。
私は本業(?)の大学がテスト期間中だったため出社せず、難を逃れることができましたが、その時、一体何があったのか…いまだに分かりません。
カジノの世界では当たり前とされる「店舗移籍」。
お店が潰れて移籍することもあれば、より好条件を提示された移籍、所謂「引き抜き」も珍しくありません。
ちなみに私はカジノバーの面接で履歴書を出したことがありません。
90年代は本当にカジノで働くことは容易だったと思います。
営業許可から学ぶ「カジノバーの種類」
一言に「カジノバー」と言っても幾つかのカテゴリーに分けられます。
ここではカテゴリー別に「カジノバー」の特徴を紹介します。
「合法アミューズメントカジノバー」
ゲームセンター感覚で、現金を賭けず安心してカジノの雰囲気を楽しめます。
チップの購入金額も非常にリーズナブル。(お店によって設定が変わります)
チップと交換してドリンクや食事を楽しむこともできます。
気軽に煌びやかな世界を楽しみたい人は、合法アミューズメントカジノバーがオススメです。
なお合法アミューズメントカジノバーの営業を始める際、飲食店経営許可の他、風俗営業許可も必要となります。
「違法アミューズメントカジノバー」
その名の通り、違法に営業が行われているカジノバーです。
チップ相場が「100ドル=1万円」で換金も可能。
(現在、合法的に現金や景品に交換できるのはパチンコのみ)
先述した「タダ飯・タダ酒・タダ煙草」でゲストをもてなすのも違法アミューズメントカジノバーの特徴です。(もちろんゲームチップの購入は必要)
ゲストの特徴は幅広く、サラリーマンから経営者、夜の商売に関わる人など多種多様。
違法アミューズメントカジノバーですが、飲食店経営許可、風俗営業許可を得て経営しているケースがほとんどです。
「アングラカジノ」
「アングラ」。これは「アンダーグラウンド」の略名。
警察の営業許可を得ずに運営されるカジノバーを指します。
例えばバカラ台が一つだけ置かれているマンションの一室など…。信じられない大金が賭けられることも少なくありません。
ゲストの特徴は…察してください。
怖い人たちが関わっているのが当たり前の「アングラカジノ」、関わらないに越したことはありません。
カジノバーが潰されるパターン
カジノバーが潰されるパターンは大きく3つに分けられると思います。
「警察介入」「破産」「怖い人たち」。ここでは特に「警察介入」について紹介します。
営業許可をとっていない「アングラカジノ」の場合。
違法だらけの経営となれば、警察介入の危険性も大。
入り口に監視モニターを付けていても、警察は客を装って侵入するケースもあります。
警察による家宅捜査が始まれば、逃げ道はありません。
営業許可をとっている「違法アミューズメントカジノ」の場合。
最初の警察介入は「警告」で終わるパターンがあるそうです。(30年前の噂かもしれませんが)
「お前ら、次はないからな!」という脅しでしょうか?
しかし「警告」を無視した場合、2度目のガサ入れにてアウト!
2軒目のカジノバーが潰れて新たな働き口を探さなくてはなりません。
それなら…と、これまでの郊外から都心の超有名繁華街へ活躍の場を求めます。
先述通り、至る所で見かけるカジノバーの看板で目ぼしいお店をチェックしては直接訪問。
その場で面接、提示された高待遇に目が眩み、その日から働くことになった3店舗目。そこでどっぷりカジノの世界に浸かります。
私の働いていたお店は某ビルの5階。
1階はその界隈では誰もが知っている某有名キャバクラ。
毎日1階のキャバクラでオレンジジュースを飲んでから出勤する本職「大学生」の私。
酔っ払い、冷静さを失った「人生の成功者」を相手にバカラディーラーとして経験値を積み、仕事が終われば疲れた体に鞭を打ち更なる刺激を求め繁華街に繰り出す日々を送っていました。
カジノディーラーとお金の話
ディーラーのギャラは「時給制」「成果報酬制」の2通り。お店によって違います。
キャリアを重ねたディーラーは「成果報酬制」のお店を選ぶケースが多かったと思います。
今から約30年前の相場なので参考になるかわかりませんが、最初のカジノバーでは時給1300円くらいだったと思います。
3店舗目以降から「成果報酬」に切り替え。
自身のディーラー成績から3%をバックしてもらっていたと思います。
(負けた場合は、ある程度までは保証されるがそれ以上負けた場合は罰金…だったような)
例:私が1日1000万円を売り上げた場合、30万円を日払い支給。
ちなみに海外(ラスベガスなど)では、ディーラーに支払われる給料は時給制。これにゲストから頂くチップが主な収入源となっているそうです。
もし、ディーラーがカジノで遊ぶと…
私が働いていたカジノバーは夜中まで営業していたので、終了後、遊びに行く場所も限られます。
大抵は早朝までやっている某高級焼肉店で腹ごしらえした後、明け方までオープンしているカジノバーに遊びに行くパターンでした。
「私はディーラーだ。負けるはずがない!」
…そのはずが、日払いで貰ったギャラ以上に大負けすることも珍しくありません(涙)
「今日、バカラで勝った金で新車買うぞー!」と意気込み、貯金を降ろしに銀行(ATM)とカジノバーを往復するハメになったり。
完全昼夜逆転。金銭感覚も大幅に狂い、大学の授業もろくに出ないでカジノ三昧…。
「かっこいい」「華やか」といったイメージが少しずつ変わってきませんか?
ディーラー引退のきっかけとなったゲーム
ディーラーとしての経験値を順調に積み重ね「ある程度、勝ちが見込めるディーラー」へと成長した私。
次第に大きなゲームも任されるようになります。
そんな私が初めて「引退」の2文字を意識したゲームがあります。
私が勤めるカジノバーの常連客だったお金持ちAさん。博才にも秀れ、ギャンブルで大勝ちして気持ちよく帰っていく姿もよく見かけました。
しかし、突如として博才というのは失われてしまうのでしょうか?
その日は突然訪れました。
絶不調なAさん。可哀想なくらい当たらない。
急激に減るチップ。幾度となくキャッシュを引き出しては次の瞬間には飲まれてしまう。
ひたすら負け続けるAさんを横目に逆張りをして大儲けする他のゲストたち。まさに異様な空気が流れていました。
最後まで自分の博才を信じ、(恐らく)全財産をオールインして…一文なしとなったAさん。
その時言ったセリフが忘れられません。「胃薬をくれ…」と。
どんな富豪でも一晩で破産するリスク。
カジノには魔物が住んでいることを再確認したゲームであり、私がディーラーの引退を考えるキッカケとなりました。
ディーラー引退の決定的出来事は…すみません。ここでは書けません。
察してください(笑)
1990年代、カジノの魔力に取り憑かれたあるディーラーの体験記。
もちろんここに記されることが当時のカジノ事情の全てではありません。
当時から健全な経営を心掛け、今も正しいカジノ文化を守り発展させようと尽力する方々はたくさんいます。
IR整備法が成立した今、国内のカジノが解禁される日が間も無く訪れるでしょう。
今回記したおよそ30年前の体験記が、カジノ解禁を待ち焦がれる皆さんの「ちょっとした心のストッパー」になればと思います。
最後に…これでもあなたはカジノディーラーに憧れますか?